農園主のプロフィール

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【農園主 高橋敏仁のプロフィール】

早稲田大学第一文学部英文学科卒業後、60種類を超える職業を遍歴。 その後、一転してコピーライターとなる。

約10年間、企業のTVCF・ポスター等の企画制作に参加。 過ぎたるセンスのため(?)、周囲から危険視され、
上司にも出鼻をくじかれ続ける。

“逆立ち歩き”の連続ではあったが、平成元年、突如コメづくりがしたくなり、奈良県赤目自然農塾(川口由一氏主催)との
知遇を得る。 同年、5月、住む家も定まっていなかったが、縁あって緒川村(茨城県)への移住を決意。 10年以上も休耕し、
もはや“原野”と化していた田畑を人力のみで開墾。
完全無農薬・無化学肥料・無除草剤・無研修で、人生初の野良仕事に挑む。

その後、気の遠くなるような数の失敗とイタチやイノシシのラブコールをいただきながら、移住3年目にしてようやく、
人並みの暮らしを実現できるあんばいに百姓ジンセイが仕上がってくる。 ひと鍬入れるたびにカチーンと火花が飛んだ
石ころだらけの農地で、土づくりに没頭した7年の歳月。粗大ごみ置き場と裏山から調達した間伐材でこしらえた
総ヒノキ造りの掘立小屋(鶏舎)が、わが家の生業の「御殿」となった。

新聞配達の合い間に、飛び込み営業をくり返しくり返し築きあげた「固定客」の数もようやく100件ほどになり、
はじめて農園の「貯金」もかすかにできるはずだった1999年、某出版社の社長さんからのお誘いが契機となり
(当時小文を連載していた)、断腸の思いで、四万十川源流のムラ(東津野村=現津野町)へ農園移転を決断。
<就農以来、私とかみさんのすべてをつぎ込み築きあげた100人のお客さま(わが家の全財産)を、ここで失うことになる。>

築150年、移転先(四万十源流村)の“龍馬がお茶した”とも言われている茅葺きの“涼しい民家”で呼吸を整えながら、
またまた石だらけの“クワカチン!”の畑(=借地)に手を入れはじめる。土づくり(農地)とお客さんを
<ゼロ>から開拓していく日々をまた「天」より頂戴する。 だが、どういうわけか、移転直後より、当時人気番組だったという
“どっちの料理ショー”(特選素材)や、あの“美味しんぼ”の原作者・雁屋哲さんをはじめ、初期の頃から
[日本一の安全]には自信があったわが家の平飼い卵や古代米を各メディアが次々と全国に紹介してくださり、
意表を衝かれるほどの大きな反響をいただく。ところが・・・・、

平成15年、突如、大家さん一家から一方的に立ち退きをせまられ(当時は借家だった)、無抵抗の甲斐もなく、
丹精した「お土」(田畑)とまたまた涙をのんで別れる羽目になる。

1年と半年、四万十川流域を流浪したあげく、平成17年春、とうとう、奥四万十の一等地に(と私には思えた)、
1ha(約3000坪)におよぶ “イノシシの巣” (崩壊寸前の休耕田)を発見。
ほぼ2年におよぶ“ジャングル”(モト田んぼの外形さえつかめなかった“天然の楽園”)の開墾作業も一段落し、
情け容赦のないイノシシの夜襲に怯えながら、今生3度目の土づくりに、意を決して挑む。

全国の休耕地復活・再生を企図した「新天地構想」の下に、中山間の田んぼ(休耕田)の「修理」に、
また、自給農的天国生活に、日夜カゲキに没頭している。

現在、イヤシロチ農法による田んぼ(約30a+借地約90a)と、無肥料・自然栽培の畑(約20a)他、
“神果卵”(1個=300円)を産んでくれる放し飼い鶏・国産モミジや、
世界に一種・ライトブルーの卵を産む南米地鶏アローカナなど計300羽のオーナー。

新農園開設時の理念でもある「新天地構想」は、「“無一文、無借金、無研修” からでも実現できた自給農の道」の奥に
描いた、ささやかなわが百姓人生の集大成でもある。

合気道約二段、スキューバダイビングライセンスなんてのも、「蔵」にはしまってある。

あの「バブル」が吹き飛んだ直後あたりから “ノックしてくる” 『直感』に、素直に従ってきました。
ほぼカネや経験がなくっても、あこがれの<自給自足暮らし>はこうして叶ってしまったのである。



*『ザ・フナイ』(船井幸雄氏主幹・1996年2月号)、『月刊アネモネ』、『自然卵ネットワーク』等に小文を掲載。
*数々の(農産物主役の)TV出演のほか、平成13年、四万十川源流村・東津野村(現津野町)にて開催された
「地域資源の発掘」研修会にパネラーとして参加。